大阪地方裁判所 昭和41年(行ウ)65号 判決 1972年3月22日
原告
水田平蔵
右代理人
荒木宏
外五名
被告
東税務署長
白井政男
右代理人
岡本拓
外六名
主文
一 被告が昭和四〇年七月三一日付でなした原告の昭和三九年分所得税につき、その総所得金額を一〇〇万五、五〇〇円、所得税額を一〇万六〇〇〇円とする更正のうち、総所得金額につき、五六万三、〇〇〇円を超える部分、所得税額につき総所得金額を五六万三〇〇〇円として算定した税額を超える部分並びに過少申告加算税四、五五〇円の賦課決定のうち、右税額の超過部分に相当する部分はいずれもこれを取消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実《省略》
理由
一、請求原因1ないし3に記載の事実については、原告の営業場所及び昭和三九年分の申告所得税額が二万八五〇円、同更正所得税額が一一万二、〇〇〇円であるとの点を除きその余の事実については当事者間に争いがない。
二、そこで、以下原告主張の本件更正処分の違法事由の有無について順次判断する。
1 請求原因5に記載の禁反言の原則違反の主張について
原告の主張によれば「従前の昭和三七、八年分の所得額を定めるにあたつて採られた方法は、原告が営業につき記帳していた原始記録にもとずき算定した所得金額を被告において信用せず双方とも合理的な根拠もないまま一応経営の実態前年分の確定所得税額、経済界一般の所得の伸び率等を参考に妥協によつて所得額を定めていたもので、いわば被告の行政指導により営業状態に変化がない限り、双方協議によつて前年分所得金額に所得の伸び率を考えて若干上積みして所得を確定する慣行が確立していた」というのであるが原告本人尋問の結果によると原告は昭和三七年一月本件の食堂経営をはじめたもので、昭和三七年分の所得確定申告にあたつて、自家用消費量と営業用消費量とを判然と区別し得る記帳がなされていなかつたため、原告としては一応十分な記帳がなされていると考えていた帳簿類にもとづき算定した所得額四四万余を所轄税務署係官に認めて貰えず、話合の結果、総所得額五二万五〇〇円とすることに落付き、右金額を以て確定申告し、又昭和三八年分についても記帳をなし、右記帳によつて収支計算した結果総所得金額は四一万七〇〇〇円程であつたが前年の例もあり右金額を以て確定申告したのでは到底認められないと原告において考えて、原告は税務署係官の指導をうけることなく自発的に前年度の確定申告額に上積みして総所得金額を五四万円余として確定申告し、更正をうけることなく認められたので、昭和三九年分については前年分の確定申告額に若干の上積みをして確定申告をすれば足りると考えて記帳をとりやめたというのであるから、右供述によつても原告主張の前記「上積み方式」が原・被告間の慣行として確立していたと認められず、他に右慣行の成立を認め得る証拠はなく、仮りに、かかる上積み方式がとられていたとしてもこれを以て「納税指導」と呼ぶに値するものではなく、「租税の公平負担」の法理からみて合理性を欠き法律上到底許さるべきものとは言い難く、本件更正に相応する所得がある限り本件更正税額を納付すべきもので、右更正税額がいわゆる「上積み」妥協方式により算出される税額より高額であつたとしても、これにより原告がいわゆる「禁反言の原則」にもとづく信頼を裏切られ、手続的にしろ、実体的にしろ損害をうけたと言うことはできない。よつて、いずれにしても原告のこの点の主張は全く理由がない。
2 請求原因6に記載の比例原則違背の主張について
原告は、被告の本件更正処分の真意は原告をして従前の記帳慣行を復活せしめようとする点にもあるから、かかる処分はその目的達成の手段として不適当であり、「比例原則違背」として違法である旨主張している。
しかしながら、本件更正が右の目的を以てなされたと認め得る証拠はないのみならず、被告は原告に本件更正に相応する所得が存する以上本件更正をなすべき法律上の義務を負うものであるから、いわゆる比例原則の適用される余地はなく、原告の主張は理由がない。
3 請求原因7に記載の税務訴訟の審判対象並びに判断の資料に関する主張について
更正処分取消訴訟の対象は、原則として、「更正処分で認定の課税標準額もしくは税額が実所得に相応しているか否か」であつて、而してその主張立証における攻撃防禦の方法は民事訴訟法第一三九条の制限を受ける場合は格別、口頭弁論終結時まで適宜調査、収集して提出出来るものと解すべきであり、従つてこの点に関する原告の主張も理由がない。
4 請求原因7に記載の「本件更正処分は調査に基かずになされた違法がある」旨の主張について。
国税通則法第二四条の趣旨に照すと、課税庁において全く「調査」をしないで恣意的に更正した場合は、その更正はこれを理由に取消し得るものと考えられる。
しかしながら、<証拠>を綜合すると、確定申告前とその後の昭和四〇年六、七月頃とに所轄東税務署の担当官であつた訴外錦武は、原告の昭和三九年分所得の調査のために原告方店舗を訪れ、その際原告方店舗の立地状況、店舗の大きさ、店舗内設備の状態、従業員数、客筋などを実地に確認し、又原告の仕入を証する原始記録(ただし完備されていなかつた。)等を調査したこと、そして右調査の結果に青色申告にかかる同業者の営業成績をも勘案して原告の所得を推計し、本件更正処分がなされたことが認められる。
従つて、本件更正は調査をなさずしてなされたという原告の主張も理由がない。
5 本件更正額認定方法および額の当否について
(一) 推計によること及び推計方法の当否について。
原告は、被告において原告の所得を推計により認定し実額に基き算定し得なかつたのは、被告が昭和三七、八年分の所得の認定にあたり原告の記帳を採用せず原告をしてその記帳意欲と慣行を喪失せしめたためであり(被告においてかかる行為をしながら、推計によることは原告をおとしいれるものである。)かかる場合推計は許さるべきでなく且つ又被告としては原告提示の昭和三七年分ないし同三九年分収支内訳明細書により充分その所得を推計し得たものであるから、これを無視して訴外塩見悦子の損益計算書(乙第一号証)等からこれを推計したのは違法である旨主張している。
しかしながら(1)原告が本件係争年分の所得に関する記張を欠いたこと(このことは当事者間に争がない)は、何等原告の主張のような被告の責に帰すべきものでないことは原告本人の供述によるも明らかで、而して原告主張の前示収支内訳明細書によつては所得の実額把握は可能とは認められず、その他、右実額把握が可能となるよう原告の全面的協力もなされなかつた本件において、被告が推計により本件係争年分の原告の所得を認定したことは正当で、原告のこの点の主張は理由がない。(2)また、被告が原告の本件係争年分の所得の推計をなすにあたつては、担当係官錦武が前記認定のとおり原告の業態を実地に調査し、仕入伝票を検討し、その結果と同業者の差益率、一般経費率を斟酌し推計したもので、推計の方法としては一般的には肯認できるところである。
(二) 推計額の当否について
被告は、原告の申告にかかる仕入金額を売上原価とみなし、これに、実地調査の結果原告と業態が同程度の同業者であると主張する訴外塩見悦子の差益率、一般経費率を適用して、原告の本件係争年分の所得を推計するものである。
そこで訴外塩見悦子の差益率41.4%、一般経費率9.8%(右の各比率は<証拠>によつて認められる)をそのまま原告のそれに採用することの合理性について判断する。
<証拠>を綜合すると、
(1)原告は昭和三七年一月より大阪市東区高麗橋二丁目二七番地附近で「よし富」なる屋号で経営面積約一〇坪(三三平方メートル)の大衆食堂を経営しており、訴外塩見悦子も同区内の平野町二丁目一一番地で「蜂の巣」なる屋号で客席面積約一二坪(39.6平方メートル)の大衆食堂を営んでいること。両店舗の位置は三つ程通りをへだてた距離にあり、共に百貨店三越に近く又ビジネス街の中心にあること。
(2)店内設備の点では、原告の店舗では四人掛と二人掛のテーブル各三個宛又四人用座敷席三個を有し計三〇人を収容出来、訴外塩見悦子の店舗では四人掛テーブル七台、二人掛テーブル一台を有し、収容人員の点では原告のそれと同数の三〇名であること。
(3)従業員数、顧客の質、経験年数、営業時間の点では原告の店舗の四名に対し訴外塩見悦子の店舗は五名、開店後の年数の点をみると、原告は昭和三九年当時僅か開店後三年目にしかならぬのに対し、訴外塩見悦子は昭和二六年に開業し昭和三九年当時既に一三年に及んでいること、顧客は共に殆んど附近の商社の社員であったが、塩見悦子の店舗では殆んど固定客であったこと、営業時間は原告の店では正午前から夏場は午後七時冬期は六時頃まで、塩見悦子の店舗では午前一一時半頃より午後八時頃までであること、共に出前はしていなかったこと。
(4)販売品目、同価格の点については、訴外塩見悦子の店舗では玉子丼一〇〇円、天丼一五〇円、親子丼一〇〇円、焼めし一三〇円で販売し、原告の店舗では玉子丼一〇〇円、天丼一五〇円、親子丼一五〇円、焼めし一三〇円で販売し、従つて、丼物では天井を除き三〇%から五〇%高額となつているが、しかしジユース、ビール等は同価格で販売されていること。
(5)原告の店舗では訴外塩見悦子の店舗で取扱つていない「うどん五〇円」「そば五〇円」等の麺類その他和定食等も販売していること。
(6)昭和三九年における原告の仕入金額が二七二万三、九八三円である(この事は当事者間に争がない。)のに対し、同年における訴外塩見悦子の仕入金額は二九九万七五二五円であること。
(7)昭和三九年における営業用の電気、ガス、水道料金が、原告においては合計一七万八、九九〇円であると計上しているのに対し、訴外塩見悦子においては合計一七万三五〇円と計上していること。
以上の事実が認められ、右事実によると、一見、塩見悦子は原告と同規模、同程度の同業者で、従つて、塩見悦子の営業における差益率、一般経費率を採用して、原告の昭和三九年における所得を推計することは合理的であるように見受けられる。
しかしながら、右事実を検討してみると、右認定の(1)の事実については、たとえ同一区内の同様の環境下にあつても、近所に同業者があるか、又近隣の商店が従業員用の食堂設備を有しているかその他店内及び従業員の清潔度、味付の巧拙等の条件により、その売上が大きく左右されるものと考えられるところ、右の点については何ら主張立証されていないこと、右認定の(2)の事実については、客席の実効性の点からみると、原告の店舗に椅子席が少ない点から客の回転率は幾分低下するものと考えられること、右認定の(3)の事実については、同一場所における開業期間の長短に応じて訴外塩見悦子の店舗は原告の店舗に比して固定客をふくめ全体として顧客が多かったと考えられること(従つて、仕入金額も多かったことは前記認定のとおり)、右(4)の事実については、一見すると、原告の店舗の利潤率が訴外塩見悦子の店舗における利潤率より高いように見受けられるけれども、両店における丼物がその量、品質、売上数量の点においても同一であることを証する証拠はなく、従つて原告の売価が訴外塩見悦子のそれより三〇%から五〇%程高いということは原告が訴外塩見悦子に劣らぬ利益をあげていることを立証し得るものではないこと。右設定の(5)の事実については、原告が麺類その他和定食等をも販売している事実は、何ら後記認定の訴外塩見悦子の利潤率が原告より、より高いであろうとの結論を覆えし得るものではないこと、右認定の(6)の事実については、訴外塩見悦子は原告よりも仕入金額で二七万三、五四二円(原告の仕入総金額の約一〇%)多く、更に塩見悦子の店舗の営業年数が原告(二年)のそれより六倍以上長い点を考慮すると、右金額で仕入れた商品の品質、量の点では二七万三、五四二円の金額以上の差があり、従つて総利潤も右仕入金額(費用額)で比較した較差一〇%以上に原告より多額なものと推測されること(従つて、費用金額の差以上に総利潤額に差があるので利潤率は訴外塩見悦子の方が原告より大と考えられる。)、右認定の(7)の事実については、<証拠>によると、原告の営業用光熱費等は、電気、ガス、水道の各支払料金中それぞれの七〇%、五〇%、六〇%を営業用として計上した金額であることが認められ、訴外塩見悦子の営業用光熱費等は、被告の主張によると93.42%が営業用であるとして計上されたものであるから、営業用と家事用との各区分の比率が、原告、訴外塩見悦子において大差があり、しかも双方とも各比率の定め方につき首肯させるに足るものが認め難いこと、以上彼此勘案すると、前記認定の(1)ないし(7)の事実から訴外塩見悦子の営業における利潤率、一般経費率が原告の営業におけるそれと近似しているとは、いまだ認め難く、塩見悦子の営業における利潤率、一般経費率を以て本件所得の推計資料となすことは相当と言い得ない。(一般的に言つて、僅かに同業者一例を以て推計の資料とすることは、推計の合理性の裏付けとしては十分とは言えない場合が多いと考えられる。)
(三) そうすると、右塩見悦子の営業における利潤率、一般経費率により推計した被告主張の原告の所得金額はこれを容認し難く他に原告にその申告にかかる所得金額を超え本件更正にかかる金額までの所得があったと認めるに足りる証拠はない。
三、よつて、本件更正ならびに過少申告加算税賦課決定は違法であるから取消さるべきであり、右取消を求める原告の本訴請求は正当として認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(井上三郎 矢代利則 弓木竜美)